あのティールの壁紙を、もう一度立ち上げてみたかった。KinoshitaOS は、Windows 95 のデスクトップUIをブラウザの中で完全に実装した実験だ。My Computer も、Notepad も、Terminal も、Recycle Bin も——1995年の視覚言語を、まるごと現代へ移植した。
出発点:あの画面をもう一度立ち上げる
先に Framer で旧ポートフォリオを Windows 95 風UIとして組んだとき、私の中に残った問いがあった。「この懐かしさは、どこから来るのか」。それを別の手法でもう一度確かめたくて、今度はUIそのものをブラウザで動くOSとして実装することにした。見た目を真似るのではなく、開く・閉じる・重なるという挙動まで再現する。それが KinoshitaOS だ。
移植:1995年の視覚言語を現代へ
象徴はあのティールの壁紙だった。そこに My Computer のアイコンを置き、ダブルクリックでウィンドウを開く。Notepad では文字が打て、Terminal にはコマンドラインが灯り、Recycle Bin はちゃんと「ゴミ箱」として振る舞う。ピクセル単位の段差や影、フォントの太さまで——あの時代の手触りを丸ごと再現することに時間をかけた。視覚言語は、細部の積み重ねで初めて記憶に届く。
同じ問いを、別の手法で検証する
Framer で設計した旧ポートフォリオと、この KinoshitaOS は、見た目こそ似ているが目的が違う。前者は「演出としての懐かしさ」、後者は「実装としての再現」だ。同じ問いを、別の手法で二度検証する——そうすることで、懐かしさが画面の表層にあるのか、それとも操作の振る舞いに宿るのかを切り分けたかった。動くOSにして初めて、記憶は「見る」から「触る」へと変わった。
懐かしさは、学習された記憶なのか。
それとも、UIそのものが持つ普遍的な引力なのか。
学び:引力は、どこに宿るのか
触ってもらって分かったのは、引力の源は一つではない、ということだ。当時を知る人には、ティールの色とアイコンが記憶のスイッチを押した。知らない人には、ウィンドウが重なり開閉する操作のリズムそのものが心地よさを生んでいた。懐かしさは学習された記憶でもあり、同時にUIの構造が持つ普遍的な引力でもある——その両方だ、というのがこの実験の暫定的な答えだった。