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視覚の体験 — Pixel Art

デジタルを物理に降ろす——ピクセル自画像の額装

2023 Visual Physical

自分の顔を、ピクセルアートで描いた。そしてそれをプリントし、額に入れ、壁に掛けた。画面の中で生まれた抽象的な自画像が、フレームと壁というアナログの文脈に置かれたとき、はたして「アート」として成立するのか——その一点を確かめたくて始めた実験だ。

出発点:画面の外に、出してみたかった

ピクセルアートはどこまでもデジタルネイティブな表現だ。スクリーンの発光、解像度、拡大表示——それらと不可分に存在している。だからこそ、それを画面の外に引きずり出したらどうなるのか、ずっと気になっていた。スクロールして消えていくものではなく、部屋に居続けるもの。光らずに、光を反射するもの。自画像を題材にしたのは、いちばん観察に耐える対象が自分自身の顔だったからだ。

設計判断:抽象化された人体を、そのまま置く

ピクセルという格子は、人体を極端に抽象化する。鼻も、目も、肌の階調も、数十個の四角に還元される。それを「粗い」と見るか「凝縮された」と見るかは、置かれる文脈次第だ。額装にあたって私が選んだのは、ピクセルらしさを滑らかに補正せず、四角のまま提示することだった。にじませて油彩風に見せることもできたが、それでは実験にならない。抽象のまま、物理に降ろす。それが条件だった。

発見:壁の質感が、ピクセルに存在感を与える

実際に壁に掛けてみて、いちばん驚いたのはここだった。ピクセルという抽象化された人体表現が、実際の壁の質感と合わさることで、新しい存在感を持ちはじめたのだ。紙の繊維、額の影、壁のわずかな凹凸。それらが格子状のドットに「ここに物として在る」という重さを与えた。スクリーンの中では均質だったピクセルが、物理空間では一つひとつ違う光を受けていた。

抽象は、置かれる場所を選んだ瞬間に、具体になる。
——ピクセルは、壁に掛けられて初めて「身体」になった。

学び:アートを成立させるのは、文脈だった

この実験が教えてくれたのは、表現が「アート」になるかどうかは、技法や精緻さよりもどの文脈に置くかで決まるということだった。同じ画像でも、フォルダの中のファイルと、額に入って壁に掛かったものは、まったく別の体験を生む。デジタルとフィジカルは対立する二つの世界ではなく、行き来できる地続きの場所なのだと、自分の顔を眺めながら確かめていた。

木下スタジオ(木下貴博 / 滋賀)体験研究:ピクセル自画像をプリント・額装して壁に設置した様子
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