初期の Stable Diffusion や Deforum が吐き出していた、画像が延々と溶けながら生成され続ける、未完成でサイケな質感。今のAIは上手くなりすぎて、もうあの揺らぎは出てこない。だから自分の手で取り戻す。AIモデルもサーバーも使わず、WebGL のシェーダーだけで。
この研究を一言でいうと──AIが絵を探っている途中の揺らぎを、自分の手に取り戻す実験。
出発点:完成品ではなく、溶けている途中
初期の Deforum の動画で価値があったのは、絵の出来ではない。一枚の画像が次の画像へとにじみながら移り変わり、形が崩れては別の形に組み変わっていく、その途中の状態だった。今のAIはあまりに上手くなりすぎて、最初から完成品が出てくる。けれどあの頃の生成には、機械が何かを「探りながら見ている」ような不安定さがあった。記録の対象は、その質感である。
問い:モデルなしで、あの溶け方は作れるか
問いはひとつ。拡散モデルもGPUクラスタもなしに、ブラウザ上のシェーダーだけであの溶け続ける質感を再現できないか。種となる画像をリアルタイムにモーフィングさせ、そこに反応拡散——斑点が湧き、育ち、分裂していく古典的なアルゴリズム——を重ね、前のフレームを次の入力に戻すフィードバックループを試作した。サーバーを一切持たず、開いた瞬間に絵が動き始める軽さも条件に置いた。
狙いは「新しい絵を生む力」ではない。
一枚が夢のように崩れていく、その手触りだ。
発見:自分のペン画を種にしたとき
決定的だったのは、自分のペン画を種画像にした瞬間だ。手で描いた線が、その線らしさを保ったまま、ゆっくりと夢のように溶け続ける。自分の絵が自分のまま壊れていく感覚は、外部のモデルに任せる生成とは別の親密さがあった。これはツールというより、自分の手の延長で見る幻覚に近い。
結果:シェーダーの天井
結果ははっきりしている。モデルなしのシェーダーは「一枚を溶かす」までが天井だ。フィードバックと反応拡散は、既にある情報を撹拌し変形させることはできても、毎フレーム新しい情景を立ち上げることはできない。次々と別の世界を生み続けるには、やはり本物の拡散モデルが要る。あの "溶けながら生成" は、変形と生成という二つの能力が重なって初めて成立している。
シェーダーで届くのは狙いの半分。残りの半分はモデルの領分だ。だからこれは境界線の記録である。どこまでがシェーダーの仕事で、どこからがモデルの仕事なのか。その線を自分の手で引いた。限界も含めて、Lab で検証を続けている。
あなたなら、何を種にして溶かしますか。自分の写真か、子どもの落書きか、昔のノートの切れ端か。Lab で実際に溶かせます。